About Me

My photo
Tokyo, Tokyo, Japan
I was born in Omori,Ota-ku,Tokyo,Japan in 1961. I have elder sister she has of the strong influence on me about everything especially music and then I started it. It was actually Fork Music at first,for example Takuro Yoshida,Yosui Inoue,Tulip...etc. And she started acoustic guitar but she never allow me playin' it but I sometimes played it actually. When I was Junior High school student,it was may 11 years old,I had heard first the introduction for "A Hard Day's Night" in my friend's room and my real musical life has started. I was or am love to play guitar so I asked my parents to buy my guitar,and they gave me "Greco Flying V". Everyday,every night I played my guitar and I slept with my guitar. It was so great feeling,feel like a KING. I thought "Music Can Change The World"! And first my BAND started.

8/15/1999

線香花火がやりたいのよ

それは僕が会社をリストラされ、何日もその事を言うことが出来ずに毎日スーツを着て出かけて、ただあてどもなくパチンコをしたり、図書館で昼寝をしたり、ハローワークに通ったりしている時の事だった。

僕ら夫婦は結婚して7年が経ち、最近ではSEXをする事も無くなった。
子供はいない。

妻は冷房が嫌いなので、眠るときはいつもエアコンを消してしまう。
最近は寝息を立てていても、実は妻が眠っているのかどうなのかが良く分からない。
僕は僕で、そんな妻を起こしてはいけない、と毎日眠った振りをしていた。
現在妻は、週に5日の割合で骨董品店へパートで働きに行っている。

「ねえ、多摩川までさ、ちょっと遠いけど歩いて行かない?」

妻は僕の返事を待つまでもなく、タンクトップの上にジャケットを羽織り出す。
夏とは言え、妻にはどうやら必要なものらしい。
しかも、それは僕が見たこともないジャケットだった。

コンビニエンスストアという所はたいがいのものは揃っているらしい。
僕等は、「花火セット」とビールとウーロン茶とショートホープを買って外に出た。

遠くで若者たちの嬌声が聞こえる。
でも、この辺りはロケーションとして失格なのか人気はない。

「ねえ、前にいつ二人で線香花火をやったのか、覚えてる?」

僕は覚えていなかった。

僕が黙っていると、妻は続けて言った。

「何だか、ここの所、毎日のように男の子の夢を見るの。
ホラ、何回も消せる落書きボードってあるじゃない?
浴衣を着た小さな男の子がね、一生懸命にそこに何かを書いているのよ。
私が近寄ろうとすると、彼は「来ないで、来ないで」って言うのよ。」


妻は、線香花火に火を付ける。
線香花火というものは、もっとはかないものだと思っていたのだけど、
それは、思いの外、長く灯りを持続していた。

「ねえ、もう、私たち、別れない?」

それが、僕たちの最後の夏だった。

No comments: