About Me

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Tokyo, Tokyo, Japan
I was born in Omori,Ota-ku,Tokyo,Japan in 1961. I have elder sister she has of the strong influence on me about everything especially music and then I started it. It was actually Fork Music at first,for example Takuro Yoshida,Yosui Inoue,Tulip...etc. And she started acoustic guitar but she never allow me playin' it but I sometimes played it actually. When I was Junior High school student,it was may 11 years old,I had heard first the introduction for "A Hard Day's Night" in my friend's room and my real musical life has started. I was or am love to play guitar so I asked my parents to buy my guitar,and they gave me "Greco Flying V". Everyday,every night I played my guitar and I slept with my guitar. It was so great feeling,feel like a KING. I thought "Music Can Change The World"! And first my BAND started.

7/31/2011

Plastic Soul Band Last Live ご来場ありがとうございました!

ようやく今、帰宅しました。
正直まだ実感が沸きません。
ただ、言える事はプラソル最後のライブを多くの方に見守って頂いた事。
プラソルは本当にシアワセなバンドでした。
この10年間の暖かい応援に感謝します。どうもありがとう。
そして、このバンドをメンバーを誇りに思います。

今は正直言葉にできない。
でも、一人一人の今後の活動を見守ってください。
どうもありがとうございました。

7/29/2011

旅立ち

ひとりになってからちょうど1年が経った。

そしてロンドンから帰ってきて10年になる。
この10年は僕にとってまさしく Plastic Soul Band の10年だった。

メンバー、スタッフはある意味家族のようであり、1曲1曲は僕の子供だった。
色々な思い出は、今ではすべて楽しいものとして記憶されている。
この10年を誇りに思うし、支えてくれたすべての人々にありがとうを伝えたい。

明日、 Plastic Soul Band は最後のライブを行います。
僕らの旅立ちをぜひ見守って下さい。

四谷三丁目 SOKEHS ROCK
19:00 Start 
Charge Free

7/07/2011

お気に入りの場所

先週の土曜日から一時退院していた母親を三鷹の病院まで送って行った。だいぶ良くなった、と思いたい。と、言うか結構大変だったのだ。介護申請も先日して社会福祉士へ電話で連絡。

久しぶりに一人きりではないランチを食べて(除く母親)、母親を送り出して何だかほっとして気持ちが少しだけ軽くなったような気がする。そのまま井の頭公園ジブリ側にあるグラウンドへ。ここは3年前の夏にやはり仕事が無かった時に毎日の様に来た場所だ。




芝生に腰を下ろして周りの風景やら空を見上げていると、甘酸っぱい記憶やら匂いが蘇って来る。
ここは僕のお気に入りの場所なのだ。

来た道を戻り七井橋を渡って、昔住んでいたアパートの前を通って帰る。
環八をクルマで下って行くと段々と現実に戻されてしまったけれど、「あの場所」は僕にとってのストロベリーフィールズなのかも知れない、そんなことを思った。

6/23/2011

仕事復帰二日目

...とは、言いつつも今週はこれでおしまい。明日は母親の一日だけの一時帰宅があり送り迎えをしないといけない。

品川某所で設営の仕事。もう、体力勝負の仕事なのでボロボロです。昼は一緒になったスタッフ2人とランチ。誰かと一緒にランチなんて凄く久しぶりだ。情報交換が出来て有益だったし、みんな必死で頑張っているのだな、そんなことが良くわかったよ。と、言うか贅沢は言っていられないのだね。と、言いつつ夜は高輪口のつけ麺屋で一人で餃子とビールとつけ麺。帰宅してダウン、今、ウーロンハイを飲みながらこれを書いています。

過去を振り返るのはあまり良い事では無いのかもしれないけれど、去年から今年の日記をずっと見ていた。
忙しくなると色々考えることも無くなるのだろうけれど、今はまだそれが必要なのかもしれないね。

6/21/2011

半年ぶりの仕事

今日は単発の仕事が入って何と半年ぶりに仕事をしてきた。内容は高校の進学セミナーの設営である。
とはいっても単純な肉体労働のみでスーツにタイでやらなければならないのがキツい。更に段ボール類だけではなく体育館の隅から隅までひくマットとかもあってエレベーターも無いし台車も無いのでトシにはかなり堪えた。。 

でも、終わってみると久しぶりにいい労働の汗を乾かしてくれる帰り道の風が気持ちよかった。学校の生徒さんたちもみんな笑顔で「こんにちは!」と挨拶をしてくれて、今の子はこんなにいい子が多いのだろうか?自分の高校時代を思い起こしてみると、きっとイヤな高校生だったに違いないと思う(笑)
ちなみに場所は相鉄線の「いずみの」という所で恐ろしく遠かった...ちなみに相鉄線に乗ったのは多分生まれて初めてであった。


帰りは横浜経由だったのでちょっとだけ西口をぶらぶらしてみたけど、随分変わってしまったんだな。
いい店が見つからなかったし昼も休憩無しだったのでダイアモンド地下街にある店で冷や汁を食べる。


帰ってこいつとビールで一息。やはり労働の後のビールはうまいね!


そんな訳で何とかこれをきっかけにして「仕事をする自分」に戻して行きたい。それが何よりも回復への道だと思っている。明日は品川だから近いや。来週は自分にとってチャレンジの仕事へのアプライである。

そして、思い起こすと昨年の二日前に長年住み慣れた吉祥寺を後にしたんだな。
いつか戻れる日が来るのかな?

6/16/2011

父の日

にはまだ早いが、福島の息子からカードとプレゼントが届いた。何故かガーデン用ソーラライト(笑)彼が農業高校生だからだろうか?ちなみに今は放射能の影響で学校でも土はいじっていないようだ。


そしてカードにはこう書いてあった。
「父の日おめでとう!
たいへんなことばかりかもしれないけど、つらいからこそあきらめずに頑張って下さいね。
僕は毎日平和ですから大丈夫です。そしていつでも構わないのでメールでも電話でもやっていいですよ。最後に12月の誕生日プレゼントにぜひご期待を。 ○○より」

...泣けた。

聞けば、「これは危ないでしょう。」というのが3マイクロシーベルトで、家の庭の草が2.7、雨樋の水は20だという。また、小さい子供のいるお金持ちの家は遠くへ引っ越してしまい、お金持ちの私立学校にいたっては半分が福島を後にしたそうだ。そんな高校生の息子に励まされるとは...。
「頑張れは禁句」ともいわれている病気とつきあっているが、これは頑張りざるを得ないな。

どうもありがとう。君も頑張るんだよ。

6/15/2011

体調悪し

昨日帰ってから更に飲んだのが行けなかったのか、今日は頭が始終ボーっとしてだるい。
また、ここ1年くらい左手が震えるのだが、昨日のタイピングタッチのテストではぶるぶる震えて全く駄目だった。仕事もさることながらまずは身体をなんとかしたい。
手の震えの原因?
1 アル中
2 本態性振戦
3 現在服用している薬?
4 精神的なもの?
5 左腕、肩の凝り、固まり

僕のテナントの一人のインド人のSちゃんの外の蛍光灯が切れたのだけど、前の電気店が閉っていた為に川崎に行く。久しぶりの川崎はだいぶ変わってしまって昔から個人がやっているような店がことごとく無くなっていた。鰻を食った帰りにパンを買って帰るが、こればかりは98円とかの食パンは避けたい。


エントリーした介護系がまず駄目、コール系も駄目。2件新たにエントリー。
夜、おなかがすいたので冷蔵庫の中の野菜とインスタントラーメンで夜食を作る。どうやら食欲はあるようだ。今日は酒を抜いて眠剤を飲んで寝てしまおう。

6/14/2011

近況

吉祥寺から帰って来た。
久しぶりにスーツを着て9時間以上外にいたことになる。疲れた。

先々週の土曜日に父親の七回忌を済ませ日曜日にリハをして、先週の木曜日に母親が入院して土曜日に2週間滞在した姉がロンドンへ帰って行った。昨年の12月末からずっと仕事をしていない。いくら病気だからといってこのままではかえって状況は悪くなるばかり、なので今週から就職活動を真面目にすることにして、今日とある派遣会社の登録&面接会に行ってから高円寺経由で(いつもの接骨院は休みだったが)母親のお見舞いに行って帰りに「のろ」に行って来た訳である。「旧のろ」の机が馴染む。



今は母親の病状が良くなる事、仕事に復帰する事、自分の病状を良くする事が先決だ。
でも、いつかは中央線に戻りたい。
逆境をバネにするにはまだリハビリが必要かもしれないけれど、こうしてつまらないことを書いて行くのもそのひとつなのかもしれない。

3/31/2011

【告知】Plastic Soul Band in【ソケースロック10周年スペシャルライブ】 

久しぶりのライブ告知です。
何と、Plastic Soul Band が1年ぶりのライブを行います。

SOKEHS ROCK 10周年記念ライブなので数多くのバンドが出演します。
よって、2曲ほどの演奏となりますがお時間のある方はぜひ遊びにいらしてください。

2011年4月3日(日)
【ソケースロック10周年スペシャルライブ】 2500yen
六本木 Abbey Road
http://www.abbeyroad.ne.jp/index.htm
※プラソルの出番は 17:30 ごろを予定しています。



3/30/2011

Restart

お久しぶりです。思えばこれが今年最初のブログということになります。時間は有り余っているのに更新しなかったのは充実しているか書けなかったかのどちらかだと思うのですが、残念ながら後者のようです。

この3ヶ月の間にあった大きな事は3回目の渡比、今回はほぼ2週間いました。マニラとセブ。渡比と書くとニヤリとされる男性と眉を顰める女性がいると思いますが、僕の目的は、かの国に将来的に永住することを念頭においてのリサーチです。もちろんインターネットで知り合った友人たちの地元民ならではの意見もしくは案内は不可欠でした。もちろん誰しも自分の所が一番いいと主張するのですが(笑) メトロマニラはやはり便利だしマカティに行けばそこは日本とアメリカのミックス?で、でもちょっと路地裏に行くとフィリーピーノの普通?の生活があります。僕は地元の女性向けの美容院で120円で髪を切ってもらいました。ちなみに昭和40年代頃の美容院といった佇まいでしたが、切ってもらっている間ヒマそうな従業員の女の子とテレビで人気のバクラ(オカマのこと。あちらでは市民権を得られているし、タレントも多い)のバラエティを一緒に見て笑っていました。もちろんタガログ語はわかりませんが。 ショッピングセンターは日本のものを凌駕している感があります。コーチ、グッチ、ルイヴィトンはもちろんイギリスでは庶民派のMarks and Spencerもありますが、こちらでは高級ブランドととらえられているそうです。こんなに毎日高級ショッピングセンターが賑わっているのをみると、ホントにこの人たち貧困なの?とも考えてしまいます。ただ、マニラは空気が汚く渋滞も深刻で物価もマカティを筆頭に他の場所に比べるとダントツに高い。もちろん日本とは比べくもないですが。画像はイントラムロスから橋を渡ってチャイナタウンにでる橋からのマニラ湾の夕日です。

セブは空気は思ったより綺麗ではない。それは多くの日本人が行くであろうマクタン島のリッチなホテルに泊まらなかったからだろうと思っていますが。同じ理由から美しいビーチリゾートというものを体験出来なかった。まあ、2000円〜3000円程度のホテルに泊まっていたので仕方が無いといえば仕方がないのですが。ただ、セブは全てがマニラに比べてゆったりしているし物価も安い。もちろん観光都市なので他と比べたら高いのでしょうが。そんな訳で結論は出ておりません。画像はセブシティのマゼランクロスです。下は船から見たマクタンの浜辺(貧乏人向け)です。お金の無い僕は日本人が一人もいない地元民向けのビーチにフィリピーノと行きました。ちなみに帰りの船で真珠を買わないか?と持ちかけられますが興味が無ければ笑顔でNo,thanks!といいましょう。2000円ほどなので興味のある方はどうぞ、、、責任は持てませんが(笑)


実はフィリピンで音楽をやって生活したいと思っています。僕が子供の頃からフィリピーノバンドの実力は凄いとのちのち先輩たちから聞かされておりました。あの"Journey"にはいっちゃうボーカリストもいるくらいだから相当凄いのだと思います。クリエイティヴィティはわかりませんが。。
セブの「Jazz'n Bluz」は2回行きましたが、滅茶苦茶レベルが高い演奏とシンガーもパフォーマンス、歌含めて素晴らしかった! また、ハーモニーが素晴らしい! マニラの紹介されて演奏してきた某店は正直ギャラを貰いたいくらいレベルが低かった。こっちが仕方なくチップをあげました(汗)まあ、1回目に行った「Hard Rock Cafe」はレベルが高かったのでたまたまだとは思うのですが。。その前にまだまだやる事もあるし、現時点ではミュージシャンとして生活をすることは難しそうだと考えています。
ともあれ、思ったのは2週間では全然足りなかったということです。もちろんお財布との兼ね合いがありますが。

閑話休題

今日、2年ほどお世話になった会社の退職手続きをしてきました。病気による更新不可(でも自己に寄る判断と離職票上はされる)ということです。もちろん迷惑をかけたのはこちらだし、療養費を支給してもらっているので文句は言えません。むしろ直属のボスには大目に見てもらって感謝をしています。これから仕事を探していかなければならないのですが、この年齢と情勢、そして未曾有の震災...なかなか難しいかもしれません。
ともあれ、再スタートです。あ、そういえば高円寺から実家に戻りました。母親の具合もあまりよくありませんがとにかく頑張らないといけませんね。そして「あなたは、あなたのママを一人にしちゃいけない。」と諭してくれたのも家族思いのフィリピーナの意見だったことを加えておきます。また、震災のその日のうちから知り合ったフィリピーノたちから「大丈夫か?」というメールやメッセージが続々と届いています。

このままではただの暗い日記になってしまいますので更に書き足すと、フィリピンは確かにほとんどの人が貧困ではあるけれど人々はいつも笑顔だし実際「自分は幸せである」という人が世界で一番多いとのことです。お金があることは確かに幸せの助けにはなるけれど、幸せの価値観ってわからない、でもいつも笑顔でいること、笑顔でいられること、それが一番大切なことなのではないかな? そんなことを今、思っています。